BLEACH 千年血戦篇

SPECIAL

森田成一(黒崎一護役)×杉山紀彰(石田雨竜役)インタビュー

相手のキャラクターを意識して
脳内で伝わる演技プラン

――『BLEACH』で好きなキャラクターを教えてください。

杉山紀彰(以下、杉山)

『BLEACH』は魅力的なキャラクターがたくさんいて一人に絞ることが難しいですが、「相剋譚」から選ぶとすれば京楽さんが印象的です。

森田成一(以下、森田)

僕が一読者として、昔からかっこ良くて大好きなキャラクターは山本元柳斎重國です。
でも、『BLEACH』のシリーズごとにそれぞれ印象的なキャラクターがいて、今回の「相剋譚」では杉山くんと同じく京楽がかっこいいなと思います。
京楽の“キャラクター”としてのかっこ良さもありますが、かっこいいなと思う理由を突き詰めていくと、「大塚明夫さん(京楽春水役)がかっこいいんだ」と一声優として思います。

杉山

大塚さんが醸し出す“ダンディな色気”は、自分が年齢を重ねるごとに「すごいな」と気付かされます。

森田

将来あんな声を出したい……。

杉山

高いハードルですね(笑)。

森田

願望なので(笑)。
大塚さんや速水さん(藍染惣右介役の速水奨さん)のような“ダンディな色気”がある声になりたい。
――『BLEACH』のセリフで惹かれたものを教えてください。

森田

マユリがザエルアポロに言った「百年後まで御機嫌よう」(コミックス34巻305話)というセリフに衝撃を受けました。
言ってみたいセリフではありますが、現実の世界では、“いつ使えるのか”は全然わかりません(笑)。

杉山

(笑)。

森田

相剋譚」で挙げると、護廷十三隊が「真世界城」へ向かって走る前に「それじゃあ、みんな行くよお」と発する京楽のセリフが好きです。
それは明夫さんの声の発し方に惹かれました。
今までの京楽であれば、落ち着いた雰囲気で、声のトーンをだんだんと下げていくのかなと思うんです。
でもそのときのセリフは語尾が上がる、周りを鼓舞するような発し方になっていて、今までの京楽にはない言い回し。
セリフを聴いた瞬間、視聴者の方々もその場にいた護廷十三隊と同じ気持ちになれたのではないかなと思います。
そして鬼道の『黒棺』。
完全詠唱したくなります。
他にも好きなセリフは数え切れないくらいたくさんあります。

杉山

僕もたくさんあるのですが、「相剋譚」だとナックルヴァールの「致命的だぜ」というセリフが好きです。

森田

それもいいよね!すごく良かった。
――他のキャストさん、制作のスタッフさんに同様の質問を伺うと、「俺以外の誰かにできたとしても 俺がやらずに逃げていい理由にはならねえんだよ!」(コミックス68巻618話)という一護のセリフを挙げられた方が多かったのが印象的でした。
森田さんは、このセリフを演じるときに意識したことはありましたか?

森田

そういったヒーロー然としたセリフは、逆に“演技しない”ことを心がけています。
セリフのどこかに力点を置いて口にすると、あざとく聞こえる気がして。
一護本人は意識してそのセリフを発したわけではなく、思ったことをそのまま言葉にしている自然発生的に出てくる言葉だと思うので、僕も一護として“当たり前に言う”ようにしました。

杉山

そういうのは結構ありますよね。
制作陣や観ている方からすると重要なシーンでも、演じる側が決め込むと逆に不自然になってしまうので演者目線ではあえてそのときの流れに任せて演じるほうがいいときがあります。
だから、放送された後に「あのシーン良かったです!」と感想をいただいても、「どんなシーンでしたっけ?」と覚えていないことが多々あります(笑)。

森田

そういう“流れ”で演じるシーンは、共演者の力がものすごく大事で大切です。
演じるキャラクターを完全に自分の中に落とし込んでいても、現場で他の共演者と交じり合うと、自然と自分の中にはなかったものが出てきたりするんです。
――他にも“流れ”で演じたシーンはありますか?

森田

第40話の杉山くんと一緒に収録した、一護と雨竜の口喧嘩のシーンや屋上で会話する回想シーンは、まさに“流れ”で演じたシーンでした。

杉山

斬撃を飛ばしたり、弓を撃ったり、殴られたりするアクションシーンは、“このセリフを強めに発しよう”など、ある程度演技プランを考えることができます。
ただ、セリフの掛け合いがメインのシーンは、お互いに相手ありきとなるシーンなので、“ニュアンスの強さ”や“温度感”など、その場で相手の演技を受けて変えていきます。
本番前のテストを終えると、監督さんなどを交えた第三者目線の意見を聞きながらイメージを調整していきます。
ただ、一緒に収録している演者さんとは、「ここはこういう感じに演じよう」というような話し合いや相談はしません。

森田

あのときって不思議な感覚だよね!テストが終わってから本番までの空き時間で、みんな相手の頭の中を読み合っている。

杉山

そうですね。

森田

それはイヤらしい駆け引きとかの読み合いではなく、「テストではこのぐらいだったから、本番ではもっと来るだろう」とか、相手の熱量や制作陣からの指摘の内容から判断して、変化がなんとなくわかるんです。

杉山

他の方が受けたディレクションを踏まえてどのように修正されるのかを想像して、自分のキャラクターのポジションや心情の表現具合を変えて。

森田

その変化は相手に伝えるわけではなく自分の頭の中で考えているだけなのに、本番でそれぞれが合致するから気持ち悪いな(笑)。

杉山

“褒め言葉”ですよね(笑)?

森田

そうですそうです(笑)。

杉山

わかります。
――第1クールではコロナ禍の収録でアフレコにも影響があったと思いますが、掛け合いのシーンはどう演じましたか?

森田

コロナ禍では掛け合いのシーンを一人で収録しましたが、声優としては「共演者の方たちと一緒に収録したいな~」と強く思いましたね。
これは『BLEACH』に限らずですが、掛け合いのシーンを分散で収録すると、映像では台本通りに言葉がきれいに流れていても、感情線が違ったり、温度感が合っていなかったりすることがどうしてもあるんです。

杉山

それは僕も思います。
音声を聴けば職業柄から「あっ、これは別録りだな」とすぐに気づいてしまいます。
「相剋譚」でも分散収録のときがありましたが、メインの掛け合いは集まって収録することができたのはよかった点です。

森田

また、掛け合いのシーンは、演出面でディレクションがなくても役者同士でこだわって録り直しをすることもあります。
10年前のクラシックシリーズの話に遡ってしまいますが、尸魂界に行った直後の岩鷲と一護の掛け合いのシーン、渉さん(志波岩鷲役の高木渉さん)に「今の途中まで良かったけど、最後うまくいってないよね」などお互いに言い合って、3回ほど録り直しました。
一連の流れを途中で止めることなく通しで演じたいこともあって全て通しで録り直したのですが、スピード感やリズム感が乗ってきて演じていながらすごく楽しかったです。

杉山

丁々発止で喧嘩するようなシーンは、お互いの表情やセリフのタイミングを計るのが必要です。
でも掛け合いの中では、セリフを聞く間(ま)や入る間(ま)など、技術的なことも含めて色々考えます。
コンマ何秒の微妙な間(ま)で解釈が変わってしまうので、そこは分散収録だと表現が難しいと思います。

森田

第1クールのインタビューで語っていたことと重複してしまいますが、霊王宮で一護と恋次が修業するシーンは「千年血戦篇」で唯一、昔ながらの方法で収録させていただきました。
今はセリフの音源を完全に分ける必要もあって、掛け合いのシーンでも声が重なると録り直しをすることがあります。
でもこのシーンは、スタッフさんが「ぜひ一護と恋次の掛け合いを見せてください」と仰ってくださったので、一連の流れを一切止めず、たとえ声が重なっていても最後まで通して演じました。
お互いにもともと舞台の人間なので、生の演技をできたことが本当に嬉しかったです。
完成した映像を観ると、セリフが生き生きしているなと思います。
――クラシックシリーズで印象に残っている出来事はありますか?

森田

『BLEACH』のアニメシリーズが始まった頃は、収録当日まで台本しか手元にない状態だったので、今以上にお互いの演技を感じながらの演技になっていたと思います。
30分のアフレコ映像を一通り見る“通し見”と呼ばれる作業を収録当日に行い、そこで初めて映像を確認。
みんなで映像を見ながらそれぞれブレスする位置を確認し、その後すぐに“テスト”、“本番”と進んでいくので、前もって「こういう演技をしよう」と考える時間はなかったんです。

杉山

海外映画のアフレコなどは完成された映像がすでにあるので、事前に映像で間(ま)や表情をじっくり確認して現場に挑めます。でも、当時のアニメのアフレコは台本に書かれている“セリフ”と“ト書き”のみを読んで当日現場に臨んでいました。

森田

しかも、当日に台本の直しなどもあったよね。

杉山

ありましたね。
あと、手書きの台本もありました。
手書きだと、文字が達筆すぎて読めないこともあって、そういうときは自分で書き直したり(笑)。

森田

僕は手書きの台本は書き手の“個性”が伝わってきて好きでした。
「うおーーー!」というセリフの語尾が台本では斜めにうねりながら書かれていて、セリフによっては、文字のままに気持ちを乗せた演技ができましたから。
読み難いことも稀にありましたが、印字にはない良さも手書きにはありました。
僕は昔の台本もすべて家に保存してあるので、見返してみても楽しいです。

“視聴後感”と“読後感”が同じになるように
感情の表現に悩んだ雨竜と一護――

――杉山さんは先の展開を知っている中で、どのように雨竜を演じましたか?

杉山

初めは原作を知らない人でも勘のいい人は、一護たちを完全に裏切ったわけではないということを察せられるくらいの演技をしていました。
でも、「感情・表情、含みのあるニュアンスはないようにお願いします」というディレクションを受けて、本当に何を考えているのか分からないニュアンスで雨竜を演じました。
「千年血戦篇」を制作する中での目標が、「初めてアニメで『BLEACH』を観た方の“視聴後感”と、初めて原作『BLEACH』を読んでいた方の“読後感”が同じになること」だと伝えられて納得しました。
ただ僕個人としては、雨竜が抱えている色々な想いを含めた演技もしたかったな、と思う事もあります(笑)。
――森田さんは杉山さんの「含みのあるニュアンスはないように」というディレクションを聞いて、意識したところはありますか?

森田

杉山くんが含みのある演技をされたときは「やっぱりそう演じるよね」と思いました。
だけど、その杉山くんへのディレクションを聴いて、ならば一護ももっと“雨竜の本心がわかっていない演技”にしようと思いました。
ただ、 “完全に騙されている”のか、“まだどこかで雨竜を信じている”のか、どっちの演技にするか悩みました。
明らかに雨竜の立場を知っている演技は、制作陣の意向を無視した演技になってしまいますし、完全に雨竜と敵対してしまうと後の展開とずれてしまいます。
なので、最終的に一護の心情がふわっとしたままの演技になりました。
僕の中で、はっきりしない演技をしているときは心地悪かったですが、結果的にそのときの一護の心情を表現できたのではないかなと思います。
――第2クールから第3クールになって、新たに演じ方を変えた部分はありますか?

森田

約20年間黒崎一護を演じて、20年前に一護の声として出したかったけど出せなかった声、これはまだ理想とする声ではありませんが、それでもそれが今、少し出せるようになりました。
それが中低音の少し下の音です。
「千年血戦篇」に入ってからはその声で演じていました。
ただ、そこからも声は微妙に変えていて、「相剋譚」は、逆に一番初めの頃の一護に近い声で演じました。
第40話で一護と雨竜が口喧嘩をするシーンがありますが、そのシーンは空座町で初めて一護と雨竜が対峙したときと近い声での演技になったと思います。
でも、今回の口喧嘩のシーンはハッシュヴァルトが目の前にいます。
なので、完全に“一護対雨竜“という構図にしてしまうとハッシュヴァルトが遠い存在で、“明確な敵を目の前に無視をする”という見え方になりかねないので “雨竜に対して攻撃的な口調を使っているけれど、その攻撃している矛先は雨竜ではない”ということを意識しました。
それができるのは、初めの頃の高音域の声かなと

杉山

先ほども言いましたが、最後に雨竜の本心が明かされるまで「本当に滅却師サイドについてしまったのではないか」という風にも感じられるように演じました。
そんな中、森田さんが仰った、一護に声を荒らげるシーンでは、どこまで感情を表現していいのかすごく考えました。
そこは前後の感情の変化と繋がるようにテストから何回か録り直したことを覚えています。
――これまでの一護と雨竜の関係性を言葉で表すなら、なんと表現しますか?

森田

初期の頃では“死神と滅却師”という相反するものを持っていた二人に、 “背中合わせ”という一つのキーワードがありました。
でも「千年血戦篇」から一護の過去も明かされて、“背中合わせ”という言葉では収まらなくなったと思います。
“背中合わせ”という言葉を聞くと完全に相反するものをイメージされると思いますが、僕は “合わせ”という言葉の部分の方が大事だと考えています。
なぜなら相反している状態でも背中はくっつき合っている、ですので“共同体“のようなものをイメージしています。
その触れ合っている背中からお互いに一緒に感じているものがある。
ただ、その共通に感じているものが何なのかはわからないというところを、言葉で表現するのは難しいです。周りからすると端的に“友達”という関係性に見えるかもしれませんが、一護と雨竜の関係性を“友達”という言葉だけで表現してしまうと、あまりにも安い関係に見えてしまうなと思います。

杉山

適切な言葉が見つからないですよね。

森田

そう、難しいし演じている僕たちもわからないと思います。
関係性を言葉にするのは、雨竜だけじゃなくて、他の現世組だったり、護廷十三隊だったり、誰との関係をとっても難しいです。
『BLEACH』はキャラクター同士の関係を言葉だけで表すと必ず何か足らなくなってしまうと思うので、言葉にできないことが『BLEACH』の物語の骨子として描かれているのではないかな、と。
そしてそれが「相剋譚」のオープニングテーマの『言葉にせずとも』というところにも繋がっているのではないかなと思います。
――最後に、アニメ公式サイトを訪れたファンに一言お願いします

森田

「相剋譚」は、映像面のクオリティだけでなく、バトル自体もハイレベルな戦闘が各所で起きていますが、その過程でキャラクターそれぞれの“込められた想い”が紐解かれていったクールになったのではないかと思います。
一方で、第3クールを最後まで視聴された方は、第3クール全体での“相剋”から、他人と自分との相剋、自身の中の解決できないところでの相剋、そういった、もやもやした気持ちも残っているかと思います。
ですが、それは本当の最終章となる第4クールを見終わったときに爽快感に変わるのではないかと思います。
僕個人の予想としては、爽快だけでは終わらない気もしますが……(笑)。
とにかく、もやもやした気持ちが最後の結末を迎えるエネルギーになっていたらいいなと思います。
「千年血戦篇」のシリーズが始まってから分割4クールの内、3クール目までが終わりましたが、僕は全然終わった気がしなくて、まだまだ始まったばかりだと思っています。
第4クール、そしてこれからの『BLEACH』をさらに楽しみにしていただけたらなと思います。

杉山

ここまでご覧いただいた方はご存知かと思いますが、「相剋譚」は久保先生監修のもとで設定やエピソードが、本当にたくさん盛り込まれたクールになったと思います。
そんな中、ようやく雨竜が滅却師側についた理由なども明かされて、物語としては転換期を迎えた状態で終わりました。
第4クールでも制作陣と先生が練り込んだエピソードがどれだけあるのか、『BLEACH』の一読者として楽しみです。
また、原作で描かれた部分に関しても、漫画で表現されたシーンがアニメーションになると「こんなに世界が広がるのか」「動画だとこういう動きをみせるのか」など、映像になったときに新たに感じ取れる部分がたくさんあったと思います。
それは第4クールも同様で、みなさんの期待を裏切らないシリーズになるのは間違いないので、これまでと同様の超絶クオリティをご期待の上、お待ちいただけたらなと思います。